投稿者 スレッド: 京丹波の隕石も注目を 幕末に落下、今は東京の博物館に  (参照数 602 回)

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京丹波の隕石も注目を 幕末に落下、今は東京の博物館に : 京都新聞
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20130223000057
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http://www.kyoto-np.co.jp/education/article/20130222000168
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http://www.kameokanews.co.jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=403

京丹波の隕石も注目を 幕末に落下、今は東京の博物館に
記念碑近くに置かれている隕石の複製(京丹波町曽根)
記念碑近くに置かれている隕石の複製(京丹波町曽根)
 ロシアの隕石(いんせき)が話題を呼ぶなか、京丹波町曽根で幕末に落下した隕石が再び注目を浴びている。石質隕石としては日本で3番目の重さで、府内では唯一確認されている落下隕石だ。現地には複製や記念碑も残る。地元住民は「これを機に、丹波でも隕石が落ちたという歴史を広く知ってほしい」と話している。

 「宇宙から丹波町への贈物」。現在の京丹波町曽根地区にある隕石記念碑には、そう刻まれている。1993年、周辺のほ場整備完成に合わせて、府が設置した。そばには強化プラスチックで作られた隕石の複製が置かれている。

 地元の古文書によると、1866(慶応2)年6月7日、曽根地域の麦畑に落下したと伝わる。「天に大砲を発するがごとき二音あり」と記されている。隕石は地元の代官家で代々保管されていた。現在は府が所有し、寄託を受けた国立科学博物館(東京都台東区)で常設展示されている。幅29センチ、高さ18センチ、重さ17・1キロで、かんらん石、輝石、鉄とニッケルの合金などからできている。

 隕石を一時預かっていた庄屋の子孫の岩崎孝雄さん(72)は、区長だった5年前、曽根区公民館近くに「曽根隕石の地」と記した看板を設置した。岩崎さんは「ロシアの映像を見て、ここの隕石もあんな感じだったのだろうかと想像している」と語る。

 1992年11月に府立丹波自然運動公園で特別展示されたほかは、地元で実物を見る機会はほとんどない。記念碑の近くで農地を耕す奥山義雄さん(75)は、「最近は地元でも隕石を知らない人が多いだろう」と残念がり、「学校で子どもたちにも教えてほしい」と願っている。

【 2013年02月23日 14時51分 】
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