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Messages - admin

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35401
本に出会う / 誰か「戦前」を知らないか
« 投稿日:: 11月 14, 2012, 12:11:39 pm »
書名:誰か「戦前」を知らないか
著者:山本 夏彦
出版社:文芸春秋社
発行日:2005.09.25
価格:690円+税

戦前のデモクラシーを「大正(ご遠慮)デモクラシー」と呼んでいる。「民主」
といっては天皇陛下に遠慮がある。だから民本主義と呼んだ。けれどもデモクラ
シーに2つはない。戦後の左派の多くは共産党の転向者である。何が何でも戦前
をまっ暗にしたい。いかにも左翼の転向者は「特高」に監視され「まっ暗」だっ
た。著者はこれを「戦前お尋ね者史観」と呼んでいる。(表紙カバーより)

夏彦迷惑問答を20代のパートナーと行っている対談集です。(読書メモ)

戦後は皆さん無闇に旅をしたがる、知識と学問がない人が旅をしても、得るもの
はない。-----ロバは旅しても馬になって帰ってくるわけでない。

新聞の勧誘員も新聞社の社員ではありません。勧誘員がいくら悪質になっても新
聞社は関知しないこと選挙の運動員と候補者の仲のごとし。

新聞の特派員はいつもデスクの顔色をうかがって原稿を書いています。本社が米
英撃つべしなら撃つべしと書きます。原稿は常に掲載されることを欲します。撃
つなと書けば没書になるのはまだしも左遷されます。クビになります。こうして
特派員は国をあやまったのです。
 僕は記事なら信じません。広告なら信じます。記事は月給もらっている記者が
書きます。広告は一字千金、大金を払っている広告主が書きます。

山本夏彦は漢文が読める最後の世代。漢字の知識が豊富で適切な語彙がすぐ出て
くる。ボキャ貧(語彙が貧困)のパートナーとの面白い対談となっています。

35402
本に出会う / 縁は異なもの
« 投稿日:: 11月 14, 2012, 12:11:01 pm »
書名:縁は異なもの
著者:白州正子・河合隼雄
発行所:河出書房新社
発行年月日:2001/12/30
定価:1,600+税

「明恵上人」を通じて白州正子と河合隼雄が会う機会が持てたとのこと。これも
縁。京都の高山寺の明恵。白州と河合の真剣勝負なかなか面白い。能の話。「か
くれ里」の話。白州正子は取材で滋賀県を結構歩いている。車で通過するのと、
実際歩いて見るのは全く違う。現在は先人の書物、言葉いっぱいあって本を読ん
で勉強していたら、一生掛かっても相当頑張って読む人でも10,000冊程度。

人の書いたもの解釈して知識として身につけてもそれ以上のものは出てこない。
 明治時代の学者がやっていた西洋の書物の解釈。そんなことをしていたら時間
が幾らあっても足らない。忙しい、忙しいと叫びあっている情報化時代。情報氾
濫時代。無限にある知識を手に入れることは出来ないと早く気が付くことが、実
は安心して生きていける近道かもしれない。二人の対談で感じられるのは余裕。
久々にすがすがしい気分にさせて貰った。この本の中で白州正子が亡くなった後
のことも河合隼雄が書いているが、すがすがしい余韻を残して白州がこの世から
いなくなった。湿っぽいところがないのが良い。白州次郎、白州正子こんなひと
は100年に一人でるか、位まれな人なのでしょう。

35403
本に出会う / 国民の歴史
« 投稿日:: 11月 14, 2012, 12:09:09 pm »
書名:国民の歴史
著者:西尾幹二
発行所:産経新聞社
発行年月日:1999/10/30
定価:1,905+税

770ページにもなる大著です。「魏志倭人伝」から日本の歴史を考えるな?
今までの歴史学者は文献に書いてあること、文献があることが証拠としてのみ
考えてこなかった。中国の歴史書に書いてあることが正しいこと。これを少し
も疑ってこなかったのでは?「魏志倭人伝」の解釈での邪馬台国論争、魏志倭
人伝には間違いが一杯ある。聞いた話、作った話も混じっているいい加減なも
のとして考えるともっと柔軟な発想になるのではないか?

稗田アレが口述したものを記録したといわれる「古事記」は神話でいかさまば
かりと信じられているが、魏志倭人伝も同じ程度の資料にすぎない。それを信
じて邪馬台国は?卑弥呼は?というのはおかしいのではないかと指摘している。
もっと素直に、文字以前の時代からの、記録として残っていない時代から継続
している歴史を考えるべきではないかと提案している。

中国の歴史書はその時その時の政権にとって都合の良いことしか書いてない書
物。したがってそれを鵜呑みにする事はできない。中国も4000年の歴史と
言いながら、唐の時代以降は違う民族が次々と征服してきた歴史を持っている。
日本では菅原道真が落ち目の唐からはもう得るものはないと遣唐使を廃止して
後、中国とは距離を置いてつき合っている。日本独自の文化、思想が育ってい
る。朝鮮は大国中国の属国として日韓併合まで続いてきた歴史を持っている。
これは日本海という障壁を持っていた日本と陸続きだった朝鮮の地政学的な違
い。公的な文章は漢語、ハングルは下流の人達の言葉、両班(ヤンパン=文官
、武官)と一般の人の間の差別意識。(これは儒教の影響も受けている。)
両班以外は人間ではない(凄い身分差別)という実態も知っておく必要がる。

今までの歴史書では見られない発想、解釈の仕方が紹介されいる。特に面白い
と思ったのは実はモンゴル帝国は実は中国の国ではなく、モンゴルが中東、ヨ
ーロッパまで版図と拡大した帝国であった。モンゴルが中国を占領してしまっ
た。という見方が自然では??

 徳川時代の鎖国という言葉、実は幕末の時期まで鎖国という言葉は出てきて
いない。徳川時代初期にキリスト教という宗教の中に潜む侵略的な暴力に気が
付いてスペイン、ポルトガルとは交易を禁止した。しかしそれ以外の国とは交
易をしているし、世界の情報自由に手に入れていた。だから幕末から維新の時
代を乗り切れた。

 中国、韓国に謝罪ばかりして政府。世界の常識は過去のことを自分の責任と
考えないこと。「原爆、無差別爆弾でアメリカは絶対日本に謝罪しない」集団
の責任は賠償金で解決するもの。従って現在に生きる世代が過去の日本人の責
任を自分の責任として謝罪、反省する必要はない。謝罪、反省で現実の問題は
解決出来ない。それを知っているからアメリカは絶対原爆を落としたことに対
しても謝罪しない。過去の問題を現状の考え方で裁くことをしてはいけない。
ナチスのホロコーストの責任を今のドイツ人に求めてしまったら、ドイツ人は
消えて無くなるしか手は無いことになってしまう。

「自国の悪を隠して言わないのが教科書だ」山本夏彦
例え悪いことがあっても子どもには良いことを選んで教えておくべき。大人に
なれば判ってくる。その前に変な正義感、正直さが結局おかしな大人と作って
しまう。
ちょっと長い本ですが、こんな考え方があるのだと言う意味で読んでみるのも
一興かなと思います。

実は「魏志倭人伝」から日本の歴史を考えるなは日下公人、竹村健一、渡辺昇一
の対談集「僕らはそう考えない」を読んでいたとき知ったこと。ようやく読むこ
とが出来ました。

書名:僕らはそう考えない
著者:日下公人、竹村健一、渡辺昇一
発行所:太陽企画出版
発行年月日:2000/08/10
定価:1,500+税

35404
本に出会う / 念ずれば花開く
« 投稿日:: 11月 14, 2012, 12:08:30 pm »
念ずれば花開く

 少し前のことですが、詩人の坂村真民さんが亡くなられました。
平成18年12月11日に老衰で永眠されました。享年97歳。

坂村真民を知ったのは母親が25年ほど前に四国にちょっと気になる
詩人がいるということで、真民さんになんども手紙を出して月刊誌
「詩国」を送ってもらえるようになったこと。真民さん70歳の頃だ
った。毎月自分で自筆で住所を書いて印刷された「詩国」を封筒に
入れて送るのが大変だからもうこれ以上は無理です。という返事に
無理矢理お願いしたそうです。その後毎月送っていただいていまし
た。(実家に帰ったときに読ませて貰っていました)
 どこか安心感を与えてくれるさわやかさ、ひとつの清涼剤。優し
いことばで語りかける。魂に響いてくる詩。もう出会えないのです
ね。こころより冥福をお祈りします。
 下記のホームページに「詩国」のバックナンバーなんかもありま
す。またゆっくりと読んでみよう。

坂村 真民の世界
http://homepage2.nifty.com/tanpopodou/

35405
本に出会う / 『自然・人間 危機と共存の風景』
« 投稿日:: 11月 14, 2012, 12:07:26 pm »
書名:『自然・人間 危機と共存の風景』
著者:星野芳郎
発行所:講談社
価格:780円

---本書より-----
 「私たちが子供の頃は、日本の都市はまだ小さかった。テレビもエアコンもなか
った。だから私たちの遊び相手は、林や草原であり、海や川であり、山であり、昆
虫や魚であった。自然と人の共存は、あたりまえのように、日常的につくられてい
たのだ」
 「80年代の末から、地球環境危機が、国際的にしきりに問題となってきた。一方
ではIT革命が新しい社会をひらくと言われながらも、自然と人の共存もまた、さ
らに声を大きくして語られるようになった」
 「しかし、私たちの身の回りの自然から話を始めず、日本の独特の自然も飛び越
して、いきなり地球環境を語るのはどうかと私は思わざるを得なかった。1970年前
後の公害問題をつうじて、人々は自然と人の共存に立ち入って考えるようになった
が、なおかつ、人にとって自然とは何かという根本的な問題は、必ずしも十分に論
じられているとは言えない。私はまず、私たちの素朴な体験をベースとして、自然
と人の関係を考えてみたい」

人にやさしい自然は「二次自然」
 著者は、自然を一次自然、二次自然、三次自然に分類している。
一次自然は、人の手がまったく加えられていない自然で、原生林などである。
二次自然は、道が設けられた森のように、人の手が多少とも加えられたものである。
三次自然は、人がさらに手をくわえたもので、田や畑、牧場、庭園などだ。

一次自然について
「原生林の中や海の上に一人放っておかれたら、人は自然の重圧に耐えかねて、恐
怖のあまり気も狂うであろう」「一次自然は恐ろしいのだ」
二次自然について
「道があって、はじめて森は人にやすらぎを与える。船や港があって、広々とした
海は、人にやさしい顔を向ける」「人にやさしい自然とは、この二次自然である」
三次自然について
 「生け花も庭園も人のコントロールのもとにある三次自然であって、二次自然に
見る旺盛な生命力はない。自然と人の共存にあっては、生命力あふれる自然と人の
共存こそが、最も大切ではあるまいか」

 「自然のなかで最も注目すべきは、人の手の入った山や川や森や海という二次自
然のやさしさと生命力である。都会人の多くはその二次自然を飛ばして、一方では、
自然といえば人の手が全く加えられていない山や森のような一次自然のことと思い、
自然に手を触れることはすべて悪という極論を生み、他方では虫もトカゲもあらゆ
る雑草も嫌って、京都の寺の木立のような三次自然こそ最も望ましい自然と考えや
すい」

相当な困難があっても二次自然を守るべき

◆生命力豊かな「二次自然」を守ろう
 「ひと言でいえば、苔寺のように人によってコントロールされた整然たる木立の
庭園こそ、人々の理想であり、そこには下生えも雑草も見えなければ、あまりに背
の高い樹木もなく、虫一匹もいないという状態こそ、人に望ましい自然環境と思う
都会人は多いと、私は推測する」
 
 「日本の行政担当者や知識人が、私を含めて、ありのままの自然に対する豊かな
感性や教養や理解力を身につけることが必要である。それによって、はじめて、私
たちは、世界にまれな日本列島の自然環境と美しさを守り、地球環境の保全に貢献
することが出来る」
----------------------------------

 すぐに海外の例を持ってきて、地に足の話にならない環境問題、「自然と人との
共存」や「自然の保全」のあり方などを考察するうえで、星野芳郎の視点は今の日
本に必要なものだと思います。昨日BS放送で昭和38年の出来事等を紹介していた
ときに星野芳郎がちょっと出演していた。非常に懐かしく思ってみていた。公害問
題の時代、反対派も賛成派もベースになる資料は星野芳郎という時代があった。原
子力反対、賛成も。解釈の仕方というか自分の思いこんだ論理、無理矢理合わせる
ような議論がまかり通っていた。武谷三男などちょっと懐かしい。

今は「持続可能な地球」「環境に優しい」「分別すればゴミは資源」等、言葉だけ
が勝手に巡って、サンマ、鰯などの魚群のように一方向に流される時代。魚群探知
機で検出されて、網でひとからげになってはじめて気が付くのかも知れない。そう
ならないためには本書など良いテキストではないかと思う。残念ながら絶版になっ
ているので図書館で借りるか、ブックオフしかなさそうです。

35406
本に出会う / 道真
« 投稿日:: 11月 14, 2012, 12:06:18 pm »
書名:道真(上)花の時
著者:高瀬千図
発行所:日本放送協会
発行日:1997/05/30
価格:2100円+税

書名:道真(下)邯鄲の夢
著者:高瀬千図
発行所:日本放送協会
発行日:1997/05/30
価格:2100円+税

菅原道真というと天神様、学問の神様、怨霊、で有名ですが、あまりその人と
なりなどについては余り知られていないのでないかと思います。この本は伝記
ですが、その中に道真の作った漢詩、和歌を引用しながらその当時を再現しな
がら書かれている。勿論フィクションですが、なかなか説得力のある筆力です。
 この本を読んで当時権勢を誇っていた藤原一門ではない出身道真が漢詩、文
章力で段々天皇の信任を得て頭角を現し、右大臣まで上り詰めてしまう。
そして晩年の大左遷(藤原時平の大反逆?)で太宰府に流されてしまう。その
地で生涯を終えるのですが、後世の人々が道真の怨念を沈めるために天満宮に
祭る。都に餓死、疫病、水不足等不幸なことが起こると道真の怨念によるもの
として御霊の祭りが行われるようになってきている。


「東風(こち)吹かば 思い起こせよ 梅の花 主無しとて 春を忘るな」
「君が住む 宿の梢を 行く行くも 隠るるまでに かえり見しやは」

「不出門」        門を出ず
 一従謫落就柴荊     一たび謫落せられて柴荊に就きしより、
 万死兢兢跼蹐情     万死兢兢たり跼蹐の情。
 都府楼纔看瓦色     都府楼は纔かに瓦の色を看、    
 観音寺只聴鐘声     観音寺は只鐘の声を聞くのみ。
 中懐好遂孤雲去     中懐は好し遂わん孤雲の去るを、
 外物相逢満月迎     外物は相逢う満月の迎うるに。
 此地雖身無検繋     此の地身に検繋無しと雖も、
 何為寸歩出門行     何為れぞ寸歩も門を出でて行かん。

 九月十日
 去年の今夜   清涼に 待し,
 秋思の詩篇   獨り 斷腸。
 恩賜の御衣   今 此こに 在り,
 捧持して 毎日 餘香を 拝す。

上記の和歌、漢詩を読んでも無念さがびしびしと伝わってくる。道真は政治家
としての才能より詩人として才能の方があったのでは政治家の清濁合わせ持っ
た懐の深さ、強心臓を持っていなかったのではないかと思われる詩が多いよう
に思う。
 現在では漢詩を読んでも(読むことができないかも)意味、言っていること
が理解できない人が多くなってしまったが、じっくりと読むと道真の才能もわ
かってくるのではないかと思う。ずっと残しておきたいものの一つではないか
な。
 最近は「お金儲けはヘタだけれど、いい人」ということは言われなくて、「
お金儲けが出来なければ」無視になってしまっている。(上の句)のみが問題
にされ(下の句)は全く無視されてしまっている。でも成果、結果のみではな
く、下の句が意外と本音があるのではないかと思う。そんな意味でも道真の漢
詩、和歌じっくり味わってみたいと思う。

道真については私のふるさとに桜天満宮という神社があります。そこの言い伝
えに下記のようなものがあります。子どもの頃から聞かされて育ってきたので
この本もちょっと道真を身近に感じながら読みました。(梅の花ではなく桜と
いうのがちょっと面白いかな)ここには天然記念物「稗田野の菫青石仮晶(19
22年指定)」があります。別称「さくら石」。
丸く長い石ですが、それを割ると中から桜の模様が出てきます。また名菓「さ
くら石」も近くの饅頭屋さんで作っています。現在では80歳を過ぎたお爺さ
ん、お婆さんの2人で作っているので1日200~300個を作るのがやっととか。
タイミングが上手くあうと買うことが出来ます。

桜天満宮
御祭神は菅原道真公。

道真公の近臣に稗田野鹿谷の高田若狭之介正期といふ忠義者がゐた。公が左遷
される時、公より多年寵愛の桜樹を形見として拝領し、故郷稗田野に移し植ゑ
た。
その年は見事な花が咲いたが、翌年には葉ばかりで開花せず、正期はもしや公
の身に何かと遙々大宰府まで駆けつけた。忠節に感じた道真は天拝山の土で自
像を作つて持たせた。正期は独鈷抛山の麓に祠を建て、像を祀つたのが始まり
と伝へる。

京都紀行 桜天満宮・積善寺
http://blog.goo.ne.jp/kue-biko/e/8c5e3edd08f20f677efc353f688ee484


35407
心に残る言葉 / こころの時代「己を知る」
« 投稿日:: 11月 14, 2012, 11:56:20 am »
こころの時代「己を知る」盛永宗興

先日、こころの時代「己を知る」 1986年放送(盛永宗興)の再放送をNHK教育で放映していた。前から盛永宗興氏の著作を読んでいたが、お顔を拝見するのは今回初めてのことであった。また肉声も初めて、自分の生い立ちを語りながら「いのち」 とはいかなるものか、人間とはいかなるものか、老師とは思えぬ迫力、非常にわかりやすい説明、たとえ話等を交えながら淡々と語られる姿に、後光が差しているような思いで聴いた。
究極のところ人生とは「自分のバカさ加減に気が付くこと」気づかされること。ところが人間には馬鹿な知恵、知識がじゃまをして、なかなかこの馬鹿さ加減に気づかず、思い上がってしまっている。いろいろな場面で気づきを得るチャンスがあるにも関わらず、それに気づくことなく思い煩い、不幸せだ、と不平不満ばかりに関心が向いている。
足を知ること。(知足)自分に充分与えられたものを大切に、大事にすること。彼岸ばかりに目を向けないで脚下を見ること。「いのち」は一つから始まった、永遠に続くもの(続けさせないといけないもの)そんなメッセージを体全体から受け取ったような気がする。盛永宗興の著書の中で述べている一つ一つの言葉がびしびしと伝わってきた。そんな番組であった。時間が瞬時に過ぎたような、いや永遠の中にいたような非常に不思議な感覚にとらわれた。

盛永宗興 元花園大学学長
大正14年に富山の魚津市に生まれる。大徳寺専門道場で修行。昭和61年より花園大学学長。平成7年遷化。師は旧制高校のころに一度に両親を失ってしまいました。その後召集されて戦争。そして敗戦。価値観の逆転。相続税、財産税、農地解放、インフレ。高等学校卒業後に出家。大徳寺で修行。妙心寺大珠院住職。
著書「見よ見よ」「禅・空っぽのままに生きる」「 命のかがやき」「お前は誰か」「子育てのこころ」「禅と生命科学」「無生死の道」

見よ見よ―若き人びとへ 盛永 宗興 (著) より
「あの頃は自分のバカさ加減に気が付くことの連続だった。」
”老師はいつも最終講義だと思ってやってきた”
”特別の場所、時で修行するものではない、どこにあっても道場である”
”自分の思い通りになるのが幸福ではない。つらいことも、いいことも傷つくことも、汚れもしないリフレッシュして繰り返し脱皮していくことを身につける心、強い心を持つ事が幸福になる力だ”
”教えてもらたのではなく(教えてもらう人等いない)目覚めたから身につく”
「自分の目でよく見て、それから素直に受け入れなさい。自分の心で、素直に痛みや喜びを感じなさい。自分の言葉で、素直に表現しなさい。土足であなたに踏み入ってくる情報や知識を最も警戒しなさい」

岡田節人氏、盛永宗興氏対談集より
『いのち』とはいかなるものか
発生生物学者の岡田節人博士は、「『いのち』というのは、いまだかつて一度も途切れたことのないもの」「死とは、細胞同士の話し合いが途絶えるとき、それを死ということができるかも知れない。」「実証はされておりませんけれども、『いのち』というものはただ一つ、一回しか生まれたことがないという認識は、今日、発生学のほうでは常識になってきております。」といわれた。

この発言を受けて、盛永宗興老師は、次のように解説しておられる。
仏教では、2500年前、釈尊の直感によって、また歴代の祖師たちの直感によって、『唯一のいのち』の自覚が、伝えられてきました。歴代の祖師に限りません。こうした『いのち』の自覚に達した人々は、数多くいたのです。
有名になった人もいれば、無名のまま、ひっそりと生涯を過ごした人もいたのでしょうが、こうした多くの人々によって、『いのち』の自覚は人から人へと伝えられ、まわりにいる人々は、その『いのち』の香りを感じたのです。

『いのち』の自覚に達した人には、ある種の雰囲気が生まれます。そして、それは、まわりの人々に自然に影響を与えます。
その『いのち』の自覚というものが、ずっと伝えられてきた。次から次へと自覚する人が出ることによって、それは失われることなく続いてきたのです。
それは禅者としての生活実感である、といってもよい。つまり、これは単なる理論や理屈ではなく、はっきりと感じることのできる事実なのです。ですから、20世紀も終わろうとする時期になって、この50年来発達してきた生命科学、発生生物学の分野において、「『いのち』というのは、ただ一回、一つだけ生まれたということが、共通の認識になっている」と岡田博士が断言されたのは、非常に興味深いことでした。

宗教も、自然科学も、
『いのち』と呼ぶことのできるものは、ただ一つであり、そのただ一つの『いのち』が、ありとあらゆる存在となって現れてきている、という認識に達しているのです。

自己の内なる『いのち』を自覚することなく、いくら知識をひけらかし、データを掻き集め、論理を積み重ねても、それは風に舞う塵のように、はかなく、意味のないものです。さらにいうなら、それは必ず混乱を深め、対立を助長し、一つの策を適用すれば、その副作用として、無数の難題が生じてくるという性質を持っているからです。

いま、我々に求められているのは、我々自身の内にある、大いなる力、『いのち』そのものに気づくことです。これなしには、いかなる政治も、いかなる学問も、究極的には意味のないものです。

『白隠禅師座禅和讃』

布施や持戒の諸波羅蜜、念仏懺悔修行等、其品多き諸善行、皆この中に帰するなり。

他に施しをしたり、自分に厳しく戒を守ったりする仏教の実践(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅蜜)。あるいは念仏を唱えたり、自分の行いを懺悔したり、身をもって仏道の修行をするなど、種類さまざまな諸々の仏道の実践も、結局はこの禅定(座禅)というもののなかで成就されるのである。(西村恵信師訳)

布施という言葉は、今日でいうボランティアというのと同じです。ボランティアといわずに布施行といえばよいのですが、一般には「お布施」といえば、葬式や法事の時僧侶に出すお金のことと思ってしまいます。これも布施には違いありませんが、布施の一つにすぎません。これは財産の布施ですから「財施」といいます。

これに対してお釈迦様は「無財の七施」ということを説いておられます。
誰にでも例外なくできる7つの布施、人を積極的に喜ばせる方法といってよいでしょう。
この7つを順次見ていきます。
1.『和顔施』
どんなに苦しくても一生懸命生きている人はすばらしい顔をしています。
人を引きつけ、喜ばせる笑顔の持ち主です。
2.『眼施』
「目は口ほどにものを言い」とも、「目は心の窓」とも言います。目はストレートにその人を表眼します。感謝、愛情の目は、人に対して大きな施しとなります。
3.『言辞施』
言葉の持つ力は大きいものがあります。それだけに感謝の言葉、また、素直に謝ることも、その言葉は「布施」となります。しかし目も言葉もその力が大きいだけに人を傷つけることにも成りますので注意が必要です。
4.『心施』
心がなければ目にも顔にも言葉にも出せないわけで、心はすべての根本ですが、「心の施し」というのは、人のために祈ることも含まれています。
人が人のためにしてあげられることには限界があります。「どうか立ち直ってくれますように」などと心から祈る、これも大切な布施です。
5.『身施』
体を使ってすること。これはたくさんあります。
6.『牀座施』
座席を替わる、あるいはここが空いていますよと呼ぶのも好意であり布施になります。
7.『房舎施』
家に泊めてあげることです。人を泊めることは、様々な面で本当に献身的な努力が必要となります。

「理想的な社会になってほしい」というのはすべての人たちが願うところです。しかし、理想的な世界、仏教で言う『彼岸』に到達するためには、何をしなければならないのか、何が欠けているのか、できることでありながら実践せずに、逆に地獄を作る手伝いをしていたことがいかに多かったか、自分の生活に照らして考えなくてはなりません。

(参考 故盛永宗興老師の著書)

35408
経産省元キャリア官僚が緊急告発「原子力損害賠償機構法は税金による東電と株主の救済策だ」 このモラルハザードを許すな
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/13710

35409
福島原発関連 / 甲状腺を生涯検査
« 投稿日:: 11月 14, 2012, 11:49:40 am »

35410
セシウム稲わら・腐葉土はホットスポット放置のツケ
http://news.livedoor.com/article/detail/5735110/

35411
福島原発関連 / 福島市の大気 恐るべき検査結果を初公開
« 投稿日:: 11月 14, 2012, 11:48:42 am »
福島市の大気 恐るべき検査結果を初公開 国がやらないなら週刊現代がやる本誌が英国研究所と共同で独自検査
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/13228

35412
福島原発関連 / ウラン残土レンガ
« 投稿日:: 11月 14, 2012, 11:48:07 am »
ウラン残土レンガ on Vimeo
http://vimeo.com/24250934
ウラン残土レンガと放射能の基礎知識
http://uranzando.jpn.org/uranzando/shimin/014.htm
小出裕章教授レジメ(PDF)
http://uranzando.jpn.org/uranzando/shimin/resume081115.pdf

35413
福島原発関連 / 堅田9条の会例会 07/23/11 12:04AM(小出裕章氏講演)
« 投稿日:: 11月 14, 2012, 11:47:17 am »
堅田9条の会例会 07/23/11 12:04AM(小出裕章氏講演)
http://www.ustream.tv/recorded/16185189

35414
福島原発関連 / 子供を守りたい親の気持ち? 知るかそんなもの!
« 投稿日:: 11月 14, 2012, 11:46:44 am »
子供を守りたい親の気持ち? 知るかそんなもの!
http://news.livedoor.com/article/detail/5726822/

35415
福島原発関連 / 被曝の損害と便益
« 投稿日:: 11月 14, 2012, 11:46:14 am »
武田邦彦 (中部大学): 政府と電力の反撃に備えて(2) 被曝の損害と便益
http://takedanet.com/2011/07/post_bd4a.html

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